東京社会福祉士会で、高齢者の夜間安心電話の相談員をやっています。
こちらは匿名、向こうも匿名。
都会の片隅で名も知らぬ顔も知らぬ、刹那の時間に様々なお話を聞きます。
様々な方から電話がきます。
何も高齢者に限りません。
若い方からも、あるいは親御さんのことでのご相談もあります。
最初から最後までひっきりなしに電話がかかってきます。
何十回と掛けないと繋がらないと、皆さん一様に言います。
話す内容も様々です。
家族のこと、病気のこと、世の中のこと。
その中で私が感じる一番多い相談内容。
それは「夜が寂しい」
ご高齢になるとお子さんが家を出ていきます。
連れ合いを亡くされた方が一人家にいます。
あるいは老人ホームなどに一人います。
日中はまだ良いのです。
日中は誰かと話す機会があります。
ご家族かもしれません、友達かもしれません、病院かもしれません、近所の買い物先、ヘルパーさん、誰かがいるんですね。
しかし必ずやってくるんです。
孤独な夜が。
夜が暗くなり始めてから22時23時ぐらいまでが魔の時間です。
老人ホームでは食事が終わった後です。
夜が寂しい。
この言葉を言う人もいれば言わなくてもそうだろうなという方もいます。
一人暮らしのご高齢の方は気を紛らわせるためにテレビをつける方がいます。
しかし皆さん言います。全く面白くないと。
この電話で今日初めて人と話したという人もいます。
こちらがうんとかすんとか言う間もなく、ダーッと喋ってひとしきり話し終えて、ありがとうございましたと電話を切る方もいます。
いつだったか、あまりに息つく間がないので試しに相槌をしないでみたことがありました。
するとどうしたことか、本当にその方はただひたすらガーッと話し続けていました。
私は何も喋りません。無言。
これじゃ単なる壁です。
けど、それでもいいのかもと思いました。
その方には思いを吐く時間がきっと必要だったに違いないと思うのです。
毎日のようにかけてくる人がいます。
自分がこんなに大変なの、周りはこんなにひどいの、自分は困っていると切に訴えます。
明らかに本人の思い込みが入っています。
それに対して、被害妄想だの、統合失調症だのと言っても始まりません。
その方にとってはそれが真実だからです。
こんな方に解決の提案をしても無駄だとは言いませんが、あまりうまくいかないように思います。
なぜならその方は暗に言っているのです。
聞いて聞いて、私こんなに大変なのと。
そしてこちらは答えます。
そっかそっかと。
この関係性。
その方にはこの文脈が必要なのかもしれません。
ひょっとしたら小さい頃にこういった原体験があるのかもしれません。
切なる思いを聞いてもらえなかったという。
そうして満たされなかった思いをこの年にして今だに抱えて。
だから目の前の問題を解決しようとアドバイスしてもおそらく次に起こるのは見えています。
次の問題、次のネタを探して、また始まるのです。
聞いて聞いてこんなに大変なのと。
問題が必要なのです。
偶然解決してしまったら途方に暮れるに違いありません。
また、ある方がいました。
物忘れに困っている、ボケる前にもう人生終わらせても良いのではないかと。
詳しく聞いていくと、かつては事業でだいぶ活躍されたようでした。
交友関係も錚々たる人々とお付き合いしてきたようです。
へーっと驚く私にその方は言いました。
何も別にすごいことではない、同じ人間だ。
たまたまそういった人たちだっただけで、みんな普通の人だ、たまたまなんだと。
その方はあらゆる人たちと上下貴賤なく接してきたのかもしれません。
しかしその輝かしい人生を経ての今置かれた状況は、何か物悲しい印象でした。
その方は延々と昔語りをしていました。
それこそ時間があれば2時間でも3時間でも話しそうな勢いでした。
ひょっとしたら輝かしかった日々を今なお生きているのかもしれません。
皆さん飢えてるんですね。
人に飢えてるんです。
会話に飢えてるんです。
聞いて欲しいんです。
私はこういった方々の話をただただ聞きます。
中には本当に解決を求めるご相談もありますが、今挙げたような方々は解決を求めてはいないように思います。
ただ求めていることは、他者と対話すること。
もしくは自分の思いの丈を話すこと。
もしくは刹那の時間でいい、他者とつながること。
そんな気がするのです。
ただただ聞いてくれる、ただ人と話すことができる、会話ができる。
これがどんなに大きいことなのか。
どんなにか恵みなのか。
人生の晩秋が迫り、余計に寂しさを募らせているのかもしれません。
人には対話が必要なのでしょう。
自分が社会と繋がっていることを確認するために。
自分がここにいるんだということを人に知ってもらうために。
自分が自分であることを確認するために。
そして、自分の人生を物語るために。
今後、どんどん独居老人は増えていくことでしょう。
そして孤独感を感じながらも、それが明らかになっているのは、氷山の一角に過ぎません。
何気ない声かけ、何気ない挨拶、それによって救われる人がひょっとしたら数多くいるのかもしれませんね。