私は東京社会福祉士会が運営する「高齢者の夜間安心電話」の相談員を長年やっています。

名も知らぬ、顔も知らぬ、相手もこちらも互いが匿名による電話相談です。
様々な方から電話がきます。

何も高齢者に限りません。
若い方からも、あるいは親御さんのことでのご相談もあります。

最初から最後までひっきりなしに電話がかかってきます。
何十回と掛けないと繋がらないと、皆さん一様に言います。

話す内容も様々です。
家族のこと、病気のこと、世の中のこと。

その中で私が感じる一番多い相談内容。

「夜が寂しい」

ご高齢になるとお子さんが家を出ていきます。
連れ合いを亡くされた方が一人家にいます。
あるいは老人ホームなどに一人います。

日中はまだ良いのです。
日中は誰かと話す機会があります。

ご家族かもしれません、友達かもしれません、病院かもしれません、近所の買い物先、ヘルパーさん、誰かがいるんですね。

しかし必ずやってくるんです。あの、孤独な夜が。

夜が暗くなり始めてから22時23時ぐらいまでが魔の時間です。
老人ホームでは食事が終わった後です。

夜が寂しい。

この言葉を言う人もいれば言わなくても恐らくそうだろうという方もいます。

一人暮らしのご高齢の方は気を紛らわせるためにテレビをつける方がいます。

しかし皆さん言います。
全く面白くないと。

「今日初めて人と喋ったわ」と仰られる方もいます。

こちらがうんとかすんとか言う間もなく、ダーッと喋ってひとしきり話し終えて、ありがとうございましたと電話を切る方もいます。

皆さん飢えてるんですね。

人に飢えてるんです。
会話に飢えてるんです。
聞いて欲しいんです。

ただただ聞いてくれる、ただ人と話すことができる、会話ができる。

これがどんなに大きいことなのか。
どんなにか恵みなのか。

人生の晩秋が迫り、余計に寂しさを募らせているのかもしれません。

それは、人生での様々な体験を経てきた方が最後に与えられる「喪失」と「孤独」という課題に対するあり方への問いなのかもしれません。

私は、おととし秋田の田舎の父を亡くしました。享年75才。

見た目も、頭の回転も、最後までとてもその年齢には思えない人の若すぎる死でした。

ガンによる終末期の緩和ケアで、告知から約2年ぐらいを経ての死でした。

それは、担当の看護師さんも感嘆するほどの理想的な最期の日々でした。

その環境と状態を、さも当然のように姑の介護から始まって身の回りの世話をこなして作り上げた母なしでは、この最期はとても迎えられなかったでしょう。

ベッドの周囲に置かれた、たくさんの花瓶と生けられた花々。
ベッドから見た父の大好きな庭。
眠る前に身の回りに置かれた、飲み物を入れたコップの数々。

我が母の介護のあり方に驚きました。

ところが、その母は今、秋田の田舎で、見渡す限りの田んぼの真ん中にある広い家に一人います。近所は十軒程度でしょうか。

幸いにして親戚や友達との人間関係は良好そのもので、65才で退職して約7年経った昨年から近所の缶詰屋でちょっとしたバイトをやっています。

ただ、それでもバイトをしない日は誰とも話さない日もあるでしょう。

冬になると豪雪地帯ですので、交通の便が悪くどこにでも出かけられない日々も続くでしょう。

私はそんな状態の母を想像してしまうだけでいたたまれなくなります。

あの明るくてお喋りな人が、家に一人。

母は言います。
強い風の音が怖いと。

私は、この状況を何とかしてやりたくても何もできていない自分がもどかしいです。

マズローの欲求5段階説というものがあります。
その理論の是非はともかく、心理・福祉等を学ぶものにとっては大変お馴染みのピラミッド図です。

「死すべき定め」(アトゥール・ガワンデ著 みすず書房)という本があります。

終末期の医療の在り方について医師兼作家が書いたアメリカでベストセラーになっている本ですが、そこでマズローの5段階欲求説について書かれています。

それは、若い人ほど、一番高位の自己実現欲求が高くなるが、残された生の時間が限られている人は、親しい人たちとの日々の喜びを大切にするというものです。

当たり前のことかもしれませんが、終末期や高齢者にとっては所属と愛の欲求が一番高位になるのかもしれません。

私は人生の晩年をどう過ごすかが、その人の人生にとってとても大切なことだと思います。

その日々をより良く生きる。私はあらゆる人が今より良く生きられるはずと信じています。

たとえ身体が、頭が、伴侶が、様々なものを喪失していく人生の晩年にあったとしても。

介護による人間関係の悪化や諸問題があったとしても。

そしてより良く生きるために必要なことは、人との繋がりであり、会話。
そして、様々な喪失と孤独を耐える力となるものは、自分の生きる意味、生きてきた意味。

それらがあることで、人生の晩節を耐えより良く生きられるのではないかと思うのです。

私は、微力ながらでもそういったことにお役に立てるよう、自分の事業を通して果たしていきたいと思っています。

私は今後、以下のことに力を入れていきます。

・高齢者(余命の限られた方、終末期の方)への訪問カウンセリングや介護者カウンセリング
・私の生きた物語~マイライフヒストリー
・ディグニティ(尊厳)セラピー

ご関心のある方は無料相談も承っておりますのでお気軽にご相談ください。

高齢者(介護、終末期)カウンセリング

私の生きた物語~マイライフストーリー~