一番古い記憶がある。
2歳の頃。
祖父の自転車の後ろにぽかぽか暖かい陽気の中、乗せられて、国道沿いの道をゴルフ場のほうへと向かっていた。
他にもいろいろな記憶がある。
居間にぽつんと座って祖父母とお客さんが話しているのを眺めていた。
風邪で入院した時、おじさんがブロックのゲームを買って病室に持ってきてくれた時。
小学校4年生ぐらいの頃、算数の授業で誰よりも早くできましたと言うことに燃えていた瞬間。
小学4年のバスケ部の夏休みの練習で毎日休まず参加した人にポカリ賞というのをもらって、それが男の子で私、女の子で一人、いずれ付き合うことになる女の子と目があった時。
小学校4年の時、一番人気のあった女の子からみんなの前でバレンタインのチョコをもらって、恥ずかしくてもらうのを拒否したら泣いてそれを見て私も泣いてしまった。
真冬のノルディックの練習で、田んぼに積もった一面の銀世界の中、何も遮ることがなく激しい吹雪がバチバチ顔に当たった際に、何か血が滾る感覚を覚えた。
最強の雪玉を作ろうと思って、まずはギュッギュッと固めた。固くなったところで、ビニール手袋の甲の所で滑らせてテカテカにする。次に手袋を外して素手になり、手の熱で雪玉の表面が少しだけ解けた水分で凍らせるように更に固める。そういえば誰かが塩を掛けるといいと言っていたのを思い出して家に帰って塩を振る。そしてそれを冷凍庫に入れる。ワクワクワクワクしたあの瞬間。
5歳ぐらいの頃、父親とお風呂で湯船に入って上がる前に九九を暗唱してから上がらされた。
母の膝車に乗せられて耳かきをしてもらいながら「さっちゃんはね~♪さちこっていうんだほんとはね~♪」って歌ってるのを「さっちゃんじゃなくてたっちゃんだ」と思った時。
小さい頃、母が家族で順番に誰が好き?と聞いてきたので下から順番に言って最後に一番は母と言った時に母が喜んだのを見たとき。
母方の祖父と真夏に取れた枝豆を黙々ともいでいた。
一人で山に虫取りに行ってオオムラサキと呼ばれた蝶々を捕まえたあの瞬間。
アドラー心理学では何気なく覚えている小さい頃の出来事に、その人の人生の見方や価値観、生き方のパターン、ライフスタイルが現れていると言います。
私は、それを普段人にやっているのですが、自分のことをちゃんと分析したことはありません。
なぜなら、どれだけアドラー心理学を極めたとしても、自分のことはどうしても自分のフィルターで見てしまうので客観性が乏しいと言われているからです。
はたして私は、いったいなんのために、何を求めて、これから何に向かって生きて行くのだろう?
なんとなくは自分のライフスタイルは分かっているつもりなんですけどね。
きっとこの記憶の中に私の全てが眠っているに違いありません。
私はこのライフスタイルについて探っていくライフスタイル診断というものをやっています。
シンプルに言えば本当の自分を知る人生カウンセリングです。
人の幼少期から現在に至るまで、人生で何が起こったか、そしてそれがその人にとってどんな意味があったのか、様々なことを聞いていきます。
大概の方は幼少期、あるいは学校時代に今現在の片鱗があったり、あるいはその時の体験を元に今の自分を作ってきた様子が分かります。
ところが、中にはどうしても分からないケースがあります。
小さい頃、学生時代、今のその人からではとても想像できないケースにこれはいったい何なんだろう?と思ってしまいます。
そう言えばこんなこともあります。
私は以前、障害者の働く支援をしていました。
ある若い知的障害の女の子がいました。
知的障害者とはシンプルに言えばIQの低い方です。
その子は掃除が苦手でした。
何度も何度も何度も職員が教えても道具がきちんと使えません。
モップで進んで行くとやがて斜めになります。
トイレの個室を3つやらなきゃならないのに1つ忘れて2つやって終わりましたと言います。
掃除機の吸い込み口が上を向いてる状態で掃除していました。
第二次世界大戦時の名将、連合艦隊司令長官山本五十六の「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば・・・」という名言が通用しません。
あぁ、山本五十六よ・・・どうすれば
ところがその彼女は今、掃除の仕事に就職しきちんと仕事をやっているのです。支援者の誰一人としてその姿を想像できる人はいませんでした。
振り返ってみると私自身が重度のあがり症でした。
人前で話す仕事は人生で最も恐れていたことでした。
けれども今それをやっています。
かつての私には夢物語です。
いったい人とは何なんでしょう?
誰がその人の未来を本当に予測できるんでしょうか?
確かに予測が当たることもあるかもしれない。
神童が大人になっても活躍することは普通にあるでしょう。
しかし、まさかあの人が・・・が、この世界にはあるのです。
アドラー心理学の祖、アルフレッド・アドラーは言いました。
あらゆる人があらゆることをできると。
私は思うのです。
自分自身が強く思ったことは実現すると。
知的障害の女の子は周りは無理と決めていましたが、本人はそんなことは、つゆ考えていませんでした。
そしてさらに思うのです。
言葉は発した瞬間に実現に向かう力があると。
私は、あがり症が一生治らないのではないか?と思ったことは何度もありましたが、それを口から断じて発しませんでした。
「治らない」という言葉を発することは、何か自分自身への死刑宣告のように思ったからです。
そうして、もがき続けながら前に進んできました。
私は思うのです。
未来を予言するのは、能力でも、他者の予測でもない。
「私はできる」という思い込みと、使っている言葉「言葉」に大きく左右されるのではないかと。
私たちは「言葉」というものの扱いをもっと気をつけた方が良いのかもしれません。
自分が「できない」と言った瞬間にそれは未来への予言となり、実現に向かってしまうのかもしれません。
(参考記事)
ライフスタイル診断とは?~ライフスタイルが変わった人の感想より