職場でメンタルヘルスを抱えた方と精神科医

以前、私は障害をお持ちの方の「働く」支援をしていました。
そこで感じていたことがあります。

あまりにも企業側あるいは支援者側が、主治医の一言をあたかも天皇陛下のお言葉のようにありがたがるんですね。

私が支援していた、とある方が精神的に不安定になって休職した後のことです。

段々安定してきたので職場復帰に向けて企業側人事担当者と相談した時、その方は言いました。

職場復帰にあたって、復帰当初は何時間勤務がいいのか、そしてその後どれぐらい経ったら何時間勤務に延長していったら良いか診断書に書いてほしいと。

はぁそうですかと答えたものの、んなもん医者に分かるわけねぇだろなんて内心思ってしまいました。

その人事の方は常にゴリ押しするタイプの方でしたので、言っても無駄だなと思い何も言いませんでしたが。

シンプルに言えば自己防衛意識の高い方なんでしょうが、悪く言えば責任回避の担保が欲しいだけなのかもしれません。

お医者さんもそんなこと言われて困るだろなと。
案の定困ってましたけど。

神様以外は答えられる人はいないでしょうね。

そもそもの話、精神疾患というものは数値で表せるものでありません。

血圧が140超えたからちょっと塩分控えましょうかなどといったようなやり取りができる客観的な数字があるわけじゃないんですね。

以前お話を伺った精神科医の方も言っていましたが、あくまで極端な話ですが、精神科医の裁量で白にも黒にもなりうるものなんです。

例えば休職中の精神疾患の方が、なんとか働きたいんです、働かないと生活していけませんなどと切なる訴えをすれば、よほどのことがない限り絶対働いちゃダメなんてお医者さんはなかなか言えないと思うんです。

あるいはしばしばあるのが、ある方の生活状況を鑑みて、障害者年金等を申請・更新するにあたって、人情的に診断書などを若干盛って書くことはたまに見聞きします。

分からんでもないです。

私が医者だったら同じように盛って書いたかもしれないなというケースは正直ありました。

けれど、結局は裁量です。

善意にもなるということは悪意とまでいくかどうかは分かりませんが、恣意的になり得るということです。

精神科医療と薬の悲しき現実

つくづく、お医者さんの中でも精神科医というのは特殊な世界だなぁって思います。

メンタルヘルスや福祉関係で何かあると精神科医ということになります。

うつで会社に行くのがしんどい…精神科に行ってみたら?
ホント人間関係でしんどくて…精神科に相談してみたら?
死にたい…精神科とか行ってる?

そうして、この今の心の苦しみを何とかしたい、救ってほしいとの思いで精神科医に行きます。

けれど行ってみたら、初診は少し長めに聞いてくれるものの、再診となると3分診療の世界。

どうですか?
はい、ちょっとしんどくて…
まずはとにかく薬をちゃんと飲んで無理せずゆっくり休んでください
はい
同じ薬出しておきますね、はいさよなら~みたいな。

皆さん、先生が話を聞いてくれないと言います。
たしかにそうかもしれません。

けれど、そもそも論として、精神科医は話を聞くプロではありません。
薬の専門家であり、医療の専門家です。

中には、相当勉強されていて、こちらが心理や聞く技術を学ばせて頂く精神科医の方もいますが、基本的に話を聞く専門家ではないということを踏まえておいた方が良いでしょう。

また、3分診療などと揶揄もされますが、そうならざるを得ないほどの状況もあるわけです。

忙しい所だと、食事もせずにずっと診療していたなんて話も耳にしたことがありますし、患者からの電話オッケーな携帯持って診察していて、緊急時の患者からの突発の電話に診療時に対応されている方もいました。

精神科医の武器はほとんど薬に負うところが多いでしょう。
なのに、今度はその薬への批判が多々あるわけです。

莫大なまでの費用をかけて開発した薬は、その分それに伴う生々しい世界をしばしば見聞きします。

実際問題、正直私は個人的には薬否定派です。
本当に代替手段がない状況での最低限が望ましいと思っています。

多量多剤の悲劇も見てきました。

若かりし頃に、何かの間違いで統合失調症と診断されてしまって、薬漬けと言っても過言ではない人生を生き、私が関わった多量多剤の方で何度かありましたが、心疾患などによって若くして亡くなられた方もいます。

医原病という言葉を考えざるを得ません。
すなわち、医療を原因とする病。

医療さえ受けなかったら病にならなかったのではないかという本末転倒な話は、表から隠れた世界で恐らくは多々あることでしょう。私はその一端を垣間見たように思います。

最近は社交不安障害(社交不安症)、いわゆるあがり症の方と数多く関わっていますが、薬なんて意味あるのかなぁなんてさえ正直思ってしまいます。

薬であがり症を治しましたなんて人は知りません。
これまで何百人ものあがり症の方に会ってきましたが、そんな方いませんでした。

もし私は薬で治しましたなんて言う人がいたとしても、そこには何らかの人との関係性の変化なり人との関わりが必ずあったはずです。

私は心理職であり、福祉関係職であり、いわゆる支援者側の人間です。

本来、精神科医側と協力していくべき存在ですが、なのに都合よく、私もそうですが、都合よく頼らせてもらっているのにもかかわらず、一歩引いて疑問視されている。

ついでに言えばいろんな人からブーブー言われて、時に責任を押し付けられる。

ここには、患者と面談するにあたってその面談技術が乏しい精神科医が実際問題いるからということもあるでしょう。

これからの時代の精神科医には、傾聴スキル、そして今後間違いなく問われてくるであろう「対話」という視点、すなわち精神疾患を持ったがゆえにこの世界から取り残されたような強烈なまでの孤立感を持っている患者と繋がるための「対話」をするという視点を持った精神科医が求められているのではないかと思います。

何らかのそういったことを学ぶ機会が、精神科医としてやっていくための過程に必要なのではないかと強く感じます。

(参考記事)
私の福祉歴~発達障害の方とのトラブルと、統合失調症の多量多剤処方の悲劇

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