アドラー心理学にライフスタイルというものがあります。
シンプルに言えば人の生き方のパターンです。
誰しもが自分の性格傾向を知っていることでしょう。自分のことを知っている、分かっていると言います。
まじめ、前向き、おとなしめ、我慢強い、強気、臆病、頑張り屋、正直、ネガティブ、素直、内気・・・等々。
けれど、じゃあなんでそんな性格なんですかと聞かれれば、誰も答えられないのではないでしょうか?
だって昔からそうなんだもんとか、物心ついた時などというかもしれません。けれどいったい、なんで?
それだけじゃなく、ある状況に置かれると自然発動するかのように沸き上がる感情もあるでしょう。それはモヤモヤだったり、得体の知れない怒りだったり、焦りだったり。
自分でも度し難く、コントロール不能な原始的感情のように。
感情とすら感じられないような、胸をかきむしるような苦しみかもしれません。
ある人は言いました。
集団の中で別にリーダーシップ取りたいとか、得意とかでもないのに、何かそういった役職を決めるときに誰も手を上げずシーンとしてしまうと、その空気感に耐えられず私がやりますと言ってしまう。そして後から後悔する。
また、ある人は言いました。
いつもなぜかは知らないけど、立ち上げの仕事に関わり、ドタバタの環境の中で必死に頑張り抜いてしまう。そうしてしばらくして落ち着いてくると、心はホッとすると同時にやる気が出なくなって転職してしまう。そして新たな場で待ち構えているドタバタ。
また別の方は言いました。
傷ついた人や動物を見てしまうと何かせずにはいられない。時に、自分が損な役回りを引き受けたり負担を抱えたりするいつものパターンとは分かってはいるが、やらざるを得ない。そうして何か疲弊していく自分を感じながらも。
いったいそれらの原動力はどこからやって来ているのでしょうか?
まるで人生に仕掛けられた設計図のように、ある日ある時ある状況になると勝手に作動し始めるプログラム。
それはあたかも人生の謎のように。
人生に仕掛けられた罠のように。
そしてそれは、もしかしたら、誰しもが何かしらあるのではないでしょうか。
それが健全なものや、支障のないものならいいでしょう。
けれど、それがまるで、コンピューターウィルスのように自然発動して自らを苦しめることがしばしばあります。
なのに、なぜそれをしなければならないのでしょう?
なぜ、自分を苦しめると分かってていて、それをせざるを得ないんでしょう?
その、自然発動的に生じる、人それぞれが持つライフスタイル〜生き方のパターンを探るために、アドラー心理学ライフスタイル診断では人の人生の幼少期から聞き取っていきます。
その中でも最も古い記憶である早期回想をいくつか聞いていくと、人生の謎が解けることがあります。
あらゆる人はそれぞれ自分自身の物語を生きています。自分も知らずして。
そのほとんどが、本当に幼き日に、既に。
ある日ある時、その人は何らかの自己決定をしたのです。
何らかの困難を乗り越えるために。
自分自身を守るために。
独り立つために。
そして、その各々のテーマに無意識的に焦点を合わせて、それが奏でるメロディを人生のあらゆる時に聞き取ります。
両親から否定され続けた人は、否定された時の、あるいは逆に肯定された時のメロディを。心の奥底で微かに燃え続ける火のように静かに耳を澄ませ、それらの微かな音でさえ聴き取る。
一人寂しい思いを抱えていた人は、人生で寂しかった時を、そして逆に人の温もりを感じていた時を、人々に包まれていた満ち足りた日を。
それらのいくつかのメロディが、まるでオーケストラのようにその人の人生を奏でる。そこにある人生の四季。
良い時も悪い時も。雨の日も風の日も。人生の冬も春も。
吉田松陰がかつて言ったように、20才には20才の、30才には30才の、50才には50才の人生にあるそれぞれの四季。
私はこれまで多くの人の人生を聴き取ってきました。
ほぼ全ての人が、うまくいかない時、もどかしい時、生きづらさ、どん底、絶望、悲しみ、そういった人生の「陰」の時期を体験しています。
けれど、それが人生のメロディを美しく奏でる。
むしろ、それがあるからこそに。
胸を揺さぶるかの如く。
それは
悲しみを喜びに変えるかのように
弱さを強さに変えるかのように
寂しさを繋がりに変えるかのように
人生の悲哀から歓喜へと。
この世に意味のないことなど何もないのかもしれません。
失望も、罪悪感も、孤独も、全ては転ずる。
あの、胸を衝く痛みさえも。
そこからの克服の物語へと。
たとえ、今が絶望の最中でも。
たとえ、この先の未来が何も見えなかったとしても。
人が人である以上、必ずより良き地点へと目指します。
だから、今、生きにくさを抱えている人に言いたいのです。
生きている限りきっと。
生きている限り何かが。
生きている限り繋がれる。
雨の止まぬ時はなく
明けない夜はなく
冬のない春はない
希望へと。