以前に障害者の就労支援をしていた時、ある悩み多き方がいました。
上司に嫌われている、あんなことやこんなことを言われた、会社に行けない、もうここではやっていけない、無理だ、と電話してきます。
あれやこれやとお話ししたり、会社訪問して事実確認したり、面談したり、様々なことをしてその問題を解決します。
あー、よかったよかったとなります。
本人もホッとします。
そして、忘れた頃にやってくる・・・
「佐藤さん・・・」というTELが。
また同じ上司にこんなこと言われました、やっぱり嫌がらせされてます、私を辞めさせるようなこと話してましたと始まります。
そこでじっくり話を聞いて、アドバイスしたり励ましたり、会社の状況を確認したり。そして誤解に過ぎなかったことを分かってもらい安心します。
ところが、やがて問題の上司が異動によりいなくなりました。
本人にとっては勘違いであろうが何だろうが、とにかく悩んでいた対象の方がいなくなり、変な言い方ですが私もホッとしました。これで安定するかなと。
ところがでした。
プルルル〜🎵 プルルル〜🎵
「・・・ドキッ、も、もしもし・・」
「・・佐藤さんですか・・(ドキッ)・・・はい、そうです。・・・今度は〇〇さんが・・(ヌオッ)」
これまで何の問題もなかった違うスタッフの方に、こんなこと言われたあんなこと言われたと悩ましげに話します。
また例によって、関係者の聴き取りや訪問等、あれやこれや、あぁだこうだと解決します。
ふう〜っと一息付くまもなく、一、二ヶ月後にやってきます。
そう、あの電話が・・・・・・
プルルル〜🎵・・・
「佐藤さんいらっしゃいますか?・・・(ゾオ〜ッ)」
そして今度はまた別の問題が始まります。
なんか変だな、一体何なんだ?
そして私は、ある時、はたと気づきました。
もしかしたら、その方には問題が必要だったのではないか?と。
その方は他の社員に比べて自分の能力が劣っていると思っていました。
そして能力の低い人は契約更新してもらえないと思っていました。
会社評価からすると勘違いも甚だしかったのですが。
そして、問題がなくなってしまうと、その方の能力というものが公に晒されます。その時、自分の存在価値が揺らぎます。
本人の主観的な見方〜「私は他の人より劣っている。劣っている人間は辞めさせられる」〜が発動してしまうのです。
しかもちょうど同じ部署に優秀な人員が増えた所でした。
そしてその方は、たしかに一番ミスが多い。
けれど、本人なりのミスの理由としては、誰かに嫌がらせされていて精神的に過度の緊張状態にあるからとの認識でした。
しかし、その障害が全く何もなくなってしまったらどうなるのでしょう?
ミスの理由は誰のせいにもできず、自分の能力不足が明るみに出ます。
だから、雲一つない万全なコンディションが整ってしまうことは、その方の無意識にとっては恐怖だったのです。
何らかの障害によって自分の力が発揮できない状態でいることの方が都合が良かったのです。自分の能力なり価値なりが、モヤモヤ霞んでる方が。
だから無意識的に問題を作り上げました。
本人が思っている自分の低い価値を隠すために。
そして自分を守るために。
もしかしたら、雲隠れできるものなら何でも良かったのかもしれません。
今回は上司との関係でした。
それだけでなく、その方は身体症状、同僚との人間関係、体調、あらゆる問題を作り上げました 。
自分も知らないままに、自分をも欺いて。
だから、何でも良かったのです。
猫の手でも、幽霊でも、上司の貧乏揺すりでも。
自分を隠せるものなら。
アドラー心理学の祖、アルフレッド・アドラーの弟子で、若くして夭逝した天才精神科医ウォルター・ベラン・ウルフは言っています。
本当の神経症者は皆、何らかの身代わりを作り上げると。
そして自分の欠点の身代わりが見つかっている限り、どんな失敗の責任持ってはならないと。
「あの人が〇〇だから、自分はホニャララできない」
「あの人さえいなかったら△△なのに」
「これがある限りは私は◇◇できない」
この論法。
どこかで聞いたことありませんか?
さももっともらしく、なるほどと思わせておいて、けれど何か違和感を感じさせる。
まさにその方は、この生き方をした人だったのです。
自分をも騙すぐらいの。
ウルフは人生の脇舞台と言いました。
メインの舞台に上がらずに脇舞台に生きる人は決してくつろいではいけません。
のんびりリラックスしてたら何やってるんだ、さぼってるんじゃないぞ、さっさとメイン舞台に上がれよなどと言われるかもしれないからです。
自分の価値が突き付けられるメイン舞台に。
自分の価値を失うかもしれないその舞台に。
だから必死に格闘します。
自分がメイン舞台に上がれない理由と。
解決はさせないままに。
こんなに苦しんでて僕、上に上がれないんです。
こんなに大変なんで今は無理なんですと。
その時、上がれない理由を苦痛だ、辛いと言いながらも、その苦痛と辛さの中に生き続けるしかなくなります。
問題を恐れ、問題に苦しみながらも、問題をこそ必要として。