今日は立川市の障害者施設すぺぃろにて、アドラー心理学講座。

参加者の方が、自分の家族の理解しがたい行動がなんでなんだろう?という発言を元に、その行動の目的を、みんなで根掘り葉掘り考えて掘り下げていきました。

ちなみに、行動の「原因」ではなく「目的」です。

いろんな事例で解説していきましたが、私たちは原因論の世界に入り浸っています。というかあまりに自然です。

ところが、アドラー心理学の祖、アルフレッド・アドラーはこれに異を唱えるかのように全く真逆の発想で物事を捉えました。

すなわち原因ではなく目的を探る。

原因の聴き方は「なんで?」
目的の聴き方は「何のために?」あるいは「それによって何が得られるの?」

すると時に思わぬことが見えてきます。

例えば、A君が不登校になった原因は?と聞くのと、A君が不登校になった目的は?と聞くのでは、全く違った答えが出てきます。

原因論で「なんで?」と考えると、「いじめられたから」、「学校の先生が怖いから」、「A君はナイーブだから」、「A君は甘やかされてるから」、「A君は発達障害だから」などといったことが出てきます。

ところが目的論で「なんのために?」と考えると、「もう傷つきたくないから」、「自分を守るために」、「休憩が必要だったから」といった答えが出てきます。

出来事は「不登校」。
事実は何一つ変わらないのに、原因と理由ではこうも違う。
原因で考えると誰かが悪者になりがちです。悪者探しになってしまう。

よく対人支援の現場で困難ケースがあった時、こういった原因論での思考になりがちです。

そして、「A君は発達だからね~」、「あそこの両親厳しいしね」、「A君はちょっと根性がないんだよね~」といったような何となくの理由付けをして、スッキリする。仕方ないよねと言って、重荷を降ろして去ろうとする。

もちろん、私もやってました。
正直、気持ちが楽になるんですね。

このモードになった時、支援者の限界を意味します。
一見もっともらしいことを言って、その実は私にはできませんという敗北宣言です。だって、理由を言いながらなんら解決してないのですから。

しかも誰もそれに気づいていない。

目的論で考えていった場合、さっきの不登校で言えば、目的は自分を守るため。けれど手段の過ちで不登校を選び、自分をも追い詰めていたと考えます。

そうすると、だったら目的のための手段を変えていけばいいんじゃない?となります。じゃあどうすれば?という発想です。

「学校の先生に相談してみようか?」
「〇〇君にお願いして、迎えに来てもらおうか?」
「お父さん、学校に付いていく?」
「とりあえず、行けなくてもいいからランドセルに明日の用意だけはやってみよっか?」

といったような。
このあり方になった時、悪者探しにはなりません。

だから目的論はいいんです。
原因論は悪者探しなにりがちで不健康なんですね。

他にも原因論のメリットデメリットはあります。
ちょっといくつか挙げてみましょう。

まず原因論は、科学の発展や企業にとっては不可欠でしょう。
「なぜ?」、「どうして?」という原因論の問いが、人間社会の進歩発達に繋がったのは間違いないでしょう。

トヨタでは、なぜなぜ分析と言われる、一つの問題などに五回なぜ?と問うことで問題の真の原因を探り出し、再発防止などに努めるというものです。

トヨタと言われると、何か納得してしまいますよね。

そして、原因論は納得してしまうんです。
理論的整合性なり説得力がある。

そもそも、私たちは基本的に原因論の世界に生きていますから、例えば傷を負ったらカットバンしたり、縫ったりすれば良い。頭が痛ければバファリンなり頭痛薬を飲めばよい。頭が悪ければ勉強すればよい。

あまりにも当たり前です。
ところがです。

原因論を人間の言動に当てはめていった時、おかしなことが起こり始めます。

先ほど述べたような悪者探しなどは一つの例でしょう。
それだけでありません。

例えば、不登校の解説としては説得力があったとしても、何ら解決には繋がらない。現実生活において役に立たないんです。

そして、人を被害者の位置に押しやります。

例えば、親のしつけが厳しくかったので自分が精神疾患にかかってしまって働けないという意味づけをしている人がいたとしたら、その人の精神疾患が万が一治ってしまったら親のしつけが厳しくてという理由が通じなくなり、自分に責任が負わされます。

自分が怠け者だから、あるいは根性なしだから、やる気がないから働かない、といったように何にせよ不名誉なこととなります。

だから、不思議なことに、人は時に病にかかり続ける必要があることがあります。治ってはいけないのです。親のしつけが厳しかったという物語の整合性が取れなくなるから。

状況を変える主体者ではなく、永遠の被害者として生き続けるかのように。

だから、私たちの人間行動には目的論の視点なり、行動が必要なんです。
そして、目的論の視点は、思わぬ発見や解決に繋がることがあります。

時に「なんであの人はあんなことするんだろう?」とか、理解できない人の行動の目的を発想自由に考えていくと、思わぬ答えが出てくるかもしれませんね?

ちなみに今日の講座の方は、「DVだから」、「Ⅿだから」とか、変な答えもいっぱい出て、結構盛り上がったのでした。

(参考記事)
引きこもりの心理と脱出のために必要なこと

※学校現場や不登校・ひきこもりへのアドラー心理学による対応等の講演・講座、承ります。詳しくはお問い合わせください。

【講演実績】
▶八王子市中学校教育委員会養護部研修会

「アドラ―心理学から学ぶ 保健室での生徒対応」