対人恐怖症の方は、症状に苦しむようになってくると何らかの対応を取るようになります。この症状の苦しみを軽減したのですから当然でしょう。
また、人によってはそういった場面を避けるという、回避の手段を取るかもしれません。
またある人は、何らかの力にすがろうとするかもしれません。
それは呼吸法であったり、座禅であったり、自己暗示であったり。
対人恐怖症の人は、色々な方法を試す傾向があります。
その中で物質に頼るというケースもあります。
それはアルコールであったり、精神科の処方薬であったり、違法薬物であったり。
この物質に頼るというケースは依存症の発症につながる可能性があります。
なぜなら、人間は一度やってうまくいったことはもう一度やってみるという傾向があります。
アルコールを飲むことで普段の自分とは違う自分を演じられた、その場を凌げたということがあればもう一度やるでしょう。しかし、これら薬物というものには耐性というものがあります。
簡単に言えば、アルコールって飲酒経験が増えれば段々に強くなっていきますよね。
それが耐性です。同じ量では効かなくなってくるんですね。
そのため徐々に量が増えていきます。やがて身体が拒否するぐらいの量じゃないと効かなくなってくる。もちろん段々段々と。
そうすると、逆にその物質がない時の方が自分を保てないし、苦しいし体調が悪くなるなんてことになってくれば一丁出来上がりです。
アルコールや薬物が入っている時の自分は、爽快で元気溌剌、頭もキレる。
アルコールや薬物が入っていない時の自分は、暗くてどんより、頭も鈍く仕事でミスが増える。
アルコールだけではありません。
依存症になる物質は様々にあるわけです。
自分に合う薬物というのが人にはあるのですが、例えばアッパー系(テンション上がる方)とダウナー系(鎮静させる薬)とか。
人によって合う薬物合わない薬物は違います。
鎮咳除痰薬なんていう咳止めの薬がいいなんて人もいるようです。
こんな例を聞いたことがあります。
あるお医者さんがいました。
薬物を始めたのは、連日連夜の徹夜勤務で壮絶なまでの状態の中、ミスの出来ない仕事だったためまるで気付け薬のように始めました。
かといって、その職場環境は簡単には変わりません。
お医者さんは本当に働き方改革の一番地一丁目からほど遠い世界にあります。
自分が休みたいと言って休めるなら簡単でしょうが、医療は人の健康なり命なりを預かる大変な職業です。自分が休んだりすればそれによって多大な迷惑がかかることがある。辞めるわけにもいかない。
そして、連日連夜の徹夜勤務で、いつうつになっても不思議ではない状態になりました。
医者の中でもとりわけ人の命を左右する科。
ミスは許されません。
責任から逃れるわけにもいきません。
寝ることも許されません。
医師も人間です。
誰かに、何かに助けを求めるのは、人としていたって自然です。
そして、その人に一番合ったのは、一時期流行った脱法ドラッグでした。
気づいた時には完全に薬物中毒になり抜けられなくなってしまいました。
なぜなら、薬物をしていない時は医療ミスを起こしかねない。人の命を失いかねないのです。薬物さえしていれば、有能で沢山の人を救えるのです。
皆さん、依存症と聞くと心の弱い人がなるものだとか気合いが足りんとか思いがちでしょうし、そういった芸能人のゴシップネタとか見ると、またかよみっともねぇなぁとか、弱い人間だななんて思ってしまうかもしれません。
しかし、心が弱いということではなく依存症は病気なのです。
繰り返します。依存症は病気です。
病気であるということはその人の心の弱さという視点で見るのではなく、治療として捉える必要があるのです。
また、依存症と聞くと快楽物質にふける堕落した人間と捉えがちかもしれません。しかし、それは事実とは異なります。
もちろんそういったケースもあるでしょう。
しかし彼ら彼女らのほとんどは、快楽を求めて物質に依存するのではなく、想像を絶するような生きにくさや苦しみからなんとか社会に適応しようと必死に自己を救済しようとした結果として、そうなってしまうということが多いのです。
これをカンツィアンは自己治療仮説と名付けました。
彼らの行動の目的は善なのです。自らを助けるために、自らをなんとか正気に保って、任務を果たそうとそれこそ必死になって。
ただ、悲しいかな、手段の過ちだったのです。
彼らに必要なことは、一人で何とかしようと対応することではなかったのだと思います。援助希求力と言いますが、頼ること、弱みを見せることは、決して弱さではなく能力なんですね。
もう無理だと悲鳴を上げること、誰か助けてと助けを求めること。
人に頼ること、人に相談すること。
彼らは依存先を見誤ったのです。
彼らに必要だったことは、物質に依存するのではなく、多数の人とのつながりに依存していくこと、そしてその繋がりの中で安全性を高め、信頼のネットワークを作っていくことだったのではないでしょうか。