5月10日で起業して二年を迎えた。
実感としてはここまで歩みが遅くなるとは正直思わなかった。
まぁ、世の中ナメていた。
欠けらも甘くはないようだ。
そして、どうも、個人事業主になると世の流れと逆行?することが多くなった。
土日も何もない、ここ二年常時セルフブラック企業。
世の中っていうのは、置かれた状況によって価値観は変わってくるのだから何が良い何が悪いとは、そう簡単なことではなくて、その時代背景にもよっても違ってくるに違いない。
ずっと働き詰めというのは、サラリーマンをしている時はブラックだが、個人事業主や経営者となると仕事熱心とか仕事に情熱を注いでいる人とかになる。
子どもがたくさんいる家庭や貧乏な家庭であれば、必死に頑張って稼いでくる大黒柱となるが、伴侶とうまくいかず仕事に没頭しているのであればワーカホリックとなる。
電通事件が二度あったこの時世であれば、ブラックになるし、昭和の高度成長期にあっては当然?のことだったろうし、バブル全盛時には時任三郎がユンケルのCMで「24時間闘いますか~♫」なんて歌っていたのを覚えている。
ちなみに私の死んだオヤジは、莫大な借金をいきなり抱えて、それまでの優雅な生活を激変させ生活を限界までに切り詰めて、寸暇を惜しんで働きに働き詰めて見事に返し切った。
ブラックがどうのとかそんな浮世の価値観などへったくそもない、見事だった。
あの親父のあり様がなかったら、本当に家族全員首をくくっていたかもしれない。私はここで書いていない。
親父の素行に散々文句ブーブー言ってきたが、あの意志貫徹力と忍耐力と目標達成力だけは絶対真似できない。
あの背中はアドラー心理学で言う家族価値的なものとして正直受け継いでしまっている。
そして今、時代は緩い働き方への流れが趨勢だろう。
きっちり有給取りましょう。
余暇を大切にしましょうといったような。
今後、人生100年時代にあっては多様な働き方が現実化するであろうから、その流れは益々加速化していくように思える。
では、これは働き方の進化と言えるのだろうか?
私は正直違うのではないかと思う。
時代によって右に振れ、左に振れと、振り子時計の振り子のように変わっていくのではないかと思う。
なぜか?
答えはシンプルで、だって働かなきゃ食っていけないから。
今の日本は働かなくてもなんとか生きていけそうだが、そんなの時代が変われば、自分の置かれた環境が変われば、必死に働くさ。
といった所で、じゃあ自分は?ということになるが、今はなんだか仕事とプライベートの境目がよく分からなくなっている。なんだかしっちゃかめっちゃかだ。
この世に何が良い何が悪いなんて、そんな簡単に決められない。
ましてや自分の持っている限られた時間をどう使おうかなんて人それぞれだ。
大事なことは、世の趨勢が真実としてそこに価値観を置くのではなく、自分にとっての真実を追求することだろう。
そこでは自分の価値観や生き方が問われる。
自分とはいったい何者で、いったいどんな風に生きていけば良いのだろうと思ったことは、誰しもが程度の差こそはあれあるのではないだろうか。
その生き方の軸、自分の価値観が明確であればあるほど、きっとブレない自分でいられるに違いない。
アドラー心理学にライフスタイル分析という手法がある。
これは、正に今言ったような生きる意味を探っていくものだ。
その中でも重要なものが、早期回想と呼ばれる最も小さい頃の記憶である。
そういえば自分はどんな感じだったろうか。
・・・・・・・覚えている記憶。
小学校3、4年ぐらいの頃だったろうか。
雪玉を作った。
ぎゅっぎゅっと握りしめる。
固く、固く。
ふと思った。
最強の雪玉を作ろう。
徹底的に強く強く握りしめる。
固く固く握りしめる。
やがて、雪玉の表面が白から透明感を帯びた氷の一歩手前ぐらいのような状態になる。
ビニール手袋でツルツルツルツルと磨く。
そしてまた、固く固く。
家に持って帰った。
どこかで塩を塗ると良いと聞いた記憶があった。
早速塩を塗りたくって雪玉をさらに握りしめる。
そして冷凍庫に入れる。
ワクワクワクワク。
結局、後日その雪玉を持って友達にぶん投げて外れた記憶はあるが、あまり印象はない。
外れて悔しくもない。
その辺の道端に落ちて壊れたろうが、あまり関心はない。
ただ、あの雪玉を、最高の雪玉を作っている時が楽しかった。
似たようなことが人生の所々である。
中学3年の時の年賀状。
自分なりの最高のデザインで凝りに凝ったものを作った。
立体図で「A Happy NEW Year」が飛び出るようなデザインで色も枠線もいろんなものをこだわって。
30枚ぐらいか、むっちゃ時間をかけた。
一番最高の出来だったものを当時好きだった人に送った。
・・・・・・麻雀店時代。
誰よりも圧倒的な強さを身に着けたかった。
最高の役作りをして、安定の位置になったとしても決して守りに入らず更に上を目指す。
決して逃げずにライオンのように攻め続ける。
役満と呼ばれる麻雀の最高役を月平均3,4回はあがった。
麻雀をしている人にとっては人生で上がった数レベルを毎月あがっていたようなものかもしれない。
おそらく、麻雀店時代に役満を500回以上はあがっているだろう。
麻雀をやったことがある人が聞けば、きっと目玉が飛び出るに違いない。
それぐらい攻め抜いたから、攻めダルマと呼ばれることがあった。
ところが、いついかなる時でも攻め続けるから負ける時はとんでもない目に合う。
しばしば火ダルマとも呼ばれた。
そんな時は、ハイエナどもが寄ってくる。
ニコニコ顔で「たけちゃん、おいしい~」等と言って、私をカモのように食らい尽くす。
負ける時も圧倒的な負けブリだった。
話がずれてきた。
そして、ライフスタイル診断という人生カウンセリング。
去年一年間、誰にも真似出来ない究極のモノをやろうと考え、ライフスタイル診断に様々なオプションを付け加えた。
シンプルに言えば、その人自身も知らなかった自分の物語をまるで短編小説のようにして、依頼頂いた数十人に書いた。
もはや小説家だ。
やり過ぎて途中でギブアップした。
あまりないのだが、無理!と。
段々そうして、自分が分かってきた。
俺はどうやら人と同じことはやりたくないらしいと。
そうして誰にも真似出来ないほどの物を作ろうとしている、作ろうとしてきた。
だから、もし万が一、ラーメン屋になってたとしたら自分が想像できる。
他の店では絶対真似できないような味の物を作っていたはずだ。
そういえば今思い出した。
麻雀店時代、特製カレーと名付けて、むっちゃいろんな味付けやら工夫して毎週土曜日に出していたのが人気メニューだった。
人生で繰り返し現れるメロディと言われる。
正にその通りなんだろう。
けど、私はなぜか目立たぬように、出過ぎぬようにと、出ることを惜しみ自分を抑えるところがある。
きっと、反面の目立ちたい、出過ぎたい思いがあるのにもかかわらず。
本当は最高の物を作りたいんだろう。
その意味で突き抜けたいんだろう。
なのにずっと抑えて生きてきた。
最も生き辛かった時は、感情も、欲望も、楽しさも、全てを抑えて生きていた。
それが5年10年と続くとそれが自分になる。
30代半ばにふと思ったことがある。
楽しいってなんだっけ?
20年近く楽しいって思ったことがなかったと気づいた時、愕然とした。
苦しかった。
自分を徹底期に押し殺して、自分を表現できなかった極度のあがり症時代は暗黒の時代だったんだろう。
顔が能面のようになった。
なんとなく、最近チビチビと覚悟を決めて、突き抜けてもいいと言い聞かせているのか何なのか、自分の行動パターンを変えつつある。
思い出した。
変な意味で、学生の頃のギャンブラー時代は結構突き抜けていた。
そしたらロクでもない連中が集まってきて、悪の総元締めのようになり、私の部屋はいつも明かりの消えることのない不夜城のたまり場になっていた。
私の人生にとって、満足感や充実感を得るためには、誰にも真似できないような圧倒的な何かを創る、それがきっと欠かせないに違いない。
そしてそれを目の前の誰かに最高のモノを最高の感動と共に提供できたその時、私は感じるに違いない。
私の生きる意味を。
だから、私はカウンセリングやライフスタイル診断を通して、その人の目が変わって希望にあふれたりキラキラした瞬間がたまらないのだろう。
謙虚なフリして俺半端ねと~と優越感に浸りながら。
けれど、最高のものを最高の感動と共に届けるために、そして勇気と、希望と、生きる力を届けるためには永遠の課題が待っている。
私は人生をかけて向上し続けなければならないに違いない。