今日はストレスに対してどう対処すればいいのか、三つの方法についてお伝えしていきます。
仕事柄、多くのうつの方に会ってきました。
それぞれにそれぞれの人生があり、うつに至った背景も原因も様々です。
ですので一概には言えないのですが、うつの方には独特のある考え方の傾向があるように思います。
それは「べき思考」と呼ばれるものです。
「かくあるべし」、「かくあらねばならない」として完璧を求めます。
完璧主義、理想主義です。
だから、仕事で手を抜けませんし、なかなか人に頼れず自分で抱えてしまいます。時間を守るし、仕事はミスが少なく、周りに信頼されます。
そうして益々、責任を伴う重職が任されるようにになります。
そしてそのあり方が続いていくと、時に、それを自分だけでなく他者にも求めるようになります。
そういった方々は、完璧という理想像を元にこの世界を見るので、どうしても自他共に欠けているところばかりに目を向けがちになります。
つまり、できていないところをあら探しします。
そうして欠けている自分や他者を否定し、責めます。
かくあるべき、かくあらねば、べきべき、ねばねば、いわばベッキーネバネバ症候群です。
私はシンプルに、ベッキー症候群と勝手に命名しています。
ベッキー症候群の方は、人間関係の築き方が偏りがちになります。
完璧主義が強く、他者へも完璧さを求める人が周りにいると皆さんどうでしょう?
私だったら息苦しいですね。
ミスしたら、どんな目で見られてどんなこと言われるんだろうとビクビクしてしまうかもしれません。
そうしてベッキー症候群の方々の周囲はピリピリバリアに包まれす。
ううっ、なんか逃げたくなっちゃいますね。
けれど、ベッキー症候群の方が最も苦手な人間関係は、実は他でもない、自分自身です。
自分との付き合い方があまりにも苦しい。
もちろん、うつの方は生まれたときからのうつの方はいません。て言うか、いたら怖いです。
「オギャー!!!」と生まれる所を、
「ぉぎゃ~…」と元気なさそうな声で生まれてくる人はいないでしょう。
この世に出てきたのがもう辛いんですみたいな。
そうして生きていくなかで、若い頃はバリバリ元気にやっていくわけです。
そして実際、それだけの気力・体力・時の運?がある。
精神的プレッシャーなり、肉体的負荷なり、乗り越えていけます。
ところが、次第にそれが続いていくと、年齢と共にその負荷に耐えられなくなったり、あるいはキャパ越えの負荷が継続していくとある日、「プツン!」と来るのです。うつが。
実際にこの音が聞こえたという人もしばしばいます。
私は、これは、あまりにかくあるべきと生き過ぎた人への身体からのメッセージだと思っています。
もうムリだよ、これ以上はという。
そして、その音が聞こえた人はもう既に時遅しです。
ベッドから出られなくなったり、会社に行けなくなる。仕事なんてできません。
頭が回らず、計算ができない、文字が読めない、人の話が理解できない。
休職するしかありません。
さてさて、ではこういったベッキー症候群の方に必要なことはなんでしょう?
私は、次の3つではないかと思っています。
一つは「ぼよん力」
二つ目は「許す力」
そして「他者とのつながり」
ぼよん力とは、かっこいい言葉で言えばレジリエンスです。
レジリエンスとはメンタルヘルス業界で使われる言葉で、精神的な回復力や復元力といったような意味です。
私のイメージだと低反発枕が近いです。
何かストレスがあった時に力で対抗するのではなく、吸収したりボヨンと跳ね返す力。
そもそも、生きている以上はストレスは避けられません。
誰しもが生きていく上で、生老病死に関わる様々なこと、そして対人関係の悩みが生じます。
次から次へとストレスはやってきます。
そういった中で強くあらねばといっても限界があります。
むしろ、ストレスには強さで対抗するのではなく、自身のあり方で対処することが大事なのです。
柳に風、ストレスにボヨン、ショックに低反発枕。
その時、ベッキーは行き先を見失い、路頭に迷います。
ありゃ、おかしいな、攻撃しても効いてないなと。
ベッキーには従うのでも抗うのでもなく、ボヨンする。
そして二つ目の許す力とは、カウンセリングなどをやっているとすぐ気づきます。
まず会った瞬間の表情が違う。
憑き物が落ちたかのような表情をされます。
カウンセリング中でもそれは起こります。
Vの字眉毛が、一の字眉毛?になる。
その時、必ずといっていいほど出る言葉があります。
それは、「まぁいっか」、あるいは「しょうがない」、「仕方ないかな」という言葉。
ダメな自分、欠けている自分、欠点のある他者、それらを許すことができた時、ふっと体の力が抜けるんですね。
心身一如、体と心は一致します。
その時、体と心が緩むんです。
それが許しの身体表現です。
ベッキーからの解放です。
そして、最後に他者とのつながり。
生きにくさを抱えている方、行き詰っている方の多くのケースが孤立しています。
孤独ではありません、孤立です。
他者に頼れません。
他者が近くにいません。
自分が責任を負います。
それは、世界中の困難をあたかも一人で背負っているかのように、悲劇の主人公であるかのように。
私は思うのです。
他者との関わりによってうつになった人は、他者との関わりによってこそ救われると 。
そのとき初めて言えるでしょう。
ベッキーにさようなら。
<参考記事>