今日はアドラー心理学の劣等感や共同体感覚について語っていきます
私は日頃、様々な心の悩みを抱えた方のご相談を受けています。
ご高齢の悩んでいらっしゃる方の電話相談、あるいは障害をお持ちの方やご家族のお悩み、希死念慮を抱かれている方のお悩み、今後のキャリアのご相談、どう生きていけば良いか知りたい方、子育ての悩み等々、様々な方と関わっています。
そうして体験してきた中で、私の中に一つの結論があります。
それは、その人の悩みが深ければ深いほど、重ければ重いほど、苦しければ苦しいほど、ご本人もしくはその一家は孤立しているということです。
明らかに友達や知り合い、相談できる方、助けてくれる方、そういった人と人との繋がりが、量も質も乏しいのです。
周りにほとんど人がいない方もいれば、周りに人がいるかもしれないけれど、断崖絶壁に囲まれているかのように立っている方もいます。
特に、死にたいという思いが強い人ほど、限りなく孤立しています。
だから、ご相談を頂いている時は悩みそのものだけでなく、人との繋がりに関心を向けざるを得ません。
そして、心の悩みを聞くだけでなく、その人の置かれている状況を探ります。
孤立しているような時は、いかに人と繋げるか繋がりを確保するかを考えます。
友達、家族、支援者、会社の人、etc・・・
悩みが孤立を生んでいるのか、孤立が悩みを生んでいるのか、どっちが先かは分かりませんが明らかに比例しています。
とするならば、その人が訴える悩みの原因を探り解決していく方法ももちろんあるでしょうが、もしかしたら悩みを解決せずともその人の繋がり感が良くなっていけば悩みが小さくなるのかもしれません。
日本発祥の森田療法の言う不問療法は、ここに通じるものがあるでしょう。
悩みは問わず、それはほっといて日々の生活を膨らましましょうというもの。
そしてそれはアドラー心理学も同様です。
原因がどうだこうだといじくりません。
目的を問います。
じゃあ、アドラー心理学のカウンセリングなり考え方なりの目指すゴールは何でしょうか?
あらゆる人に共通して通用するもの、それが共同体感覚、いわゆる繋がりです。
アルフレッド・アドラーの言う共同体感覚は、人が地球上にいる以上、時も場所も人も変わったとしても、未来永劫決して変わることのない普遍的な価値観でしょう。
だから、私は何度も言います。
アドラーも100年前にその著書の中で何度も何度も言っています。
いかに共同体感覚が大事であるかを。
実際、人との繋がりが深い所で結ばれた時、自分がここにいていいと思えた時、自分が他者に受け入れられていると思えた時、そういった時に医療でも薬でも治せなかった心身症状が軽減していくことがあります。
アドラー心理学に劣等感という用語があります。
これは普通考えるような他者より劣っている感覚ももちろんありますが、それだけじゃなく他者と繋がっていないのを感じた時にもあります。
いわゆるアウェーですね。
周りは敵ばかり。
自分が巨人ファンだったとしても、阪神ファンに囲まれているとき、自分の思いも言葉も通じません。分かってもらえません。
この時、人は根元的な恐怖感を感じます。
繋がっていない。
誰にも分かってもらえない。
これがプロ野球のような一時的な場面ならいいでしょう。
しかし、これがもし、学校で、会社で、家庭で毎日続いていったらあなただったらどうなりますか?
それが孤立。
人間も動物も本能的持っている群れからはぐれることへの恐怖です。
精神的に生き辛さを感じている人は、これを言葉を発する度にズレとして感じます。
「あの人がこんなこと言って私をのけ者にしようとしてるの」
「そんなわけないだろ」
ズレ
「夫を去年亡くして寂しいんです」
「もう亡くなってしまったんだからどうしようもないでしょ。前向きなよ」
ズレ
「私どうにかなりそう」
「何言ってるんだ、早く寝ろ」
ズレ
この時感じる「ズレ」、これが群れからはぐれると言いましたが、人間の本質的欲求である「所属」からこぼれているという劣等感なのです。
「私のことは誰も分かってくれない」
「私は一人」
「私はここにいてはいけない」
といったような。
だから、もしかしたらこの人たちが求めているのは、お金でも食べ物でもなく、ただただ分かってもらえること。
ここに私がいるんだよ。
私はこんなこと感じてるんだよ。
私は寂しいの、私辛いの、私傷付いたの。
ただただ、それを分かってもらいたくて。
ただただ、自分がこの世界に存在しているのを認めたもらいたくて。
だから、そういった生き辛さを感じている人はアドバイスを求めるよりも、ただただあの言葉を待っているのかもしれない。
「そっか、辛かったね」
「そっか、そうなんだね」
その時、起こること。
自分の言っていることを誰にも分かってもらえず、自分がいることに誰も気づいてもらえなかった群れからはぐれそうになった人が、再び繋がった瞬間~群れに戻った瞬間なのかもしれません。
(参考ブログ)