想像を絶する発達障害やADHDの方々の現実

今日はあえて思ったことを書きます。
長年、障害者分野で働いてきました。

障害を抱えながら自分の持っている能力を発揮してより良く生きていらっしゃる方は多々います。

しかし、時に、なかなか大変なケースに出会います。

そういった場合、本人が困難を抱えているだけでなく家族全体が大変な状況であることがしばしばあります。

多いのが、ご家族も何らかの障害を抱えているケース。

夫婦それぞれが知的障害と精神障害を抱えていたり、親子共々に知的障害だったり、あるご家族で驚いたのが、一緒に住んでる家族のうち5人が発達障害だったケース。

これは壮絶でした。

最近よくある発達障害流行りで、私もしばしば俺ADHDなんだよね~などといったようにネタ的に使いますし、発達やアスペやADHDは長所だとか経営者向きみたいな話がある中で、こういった方々と会うと、そんな言葉言えなくなります。

家族全体が日々をどう生き延びていくかと言っても大げさでないような。

障害をお持ちの方々に対して支援していく際の発想は、これこれがうまくできないのならこれこれすればいいと良いというもの。

文字が認識できずに仕事できないのなら、色分けしたり、写真使ったりといったようなツールを使う。

忘れ物が多いのなら、そうならないようにここに置いておこう。
時間管理ができないのなら、携帯のリマインダーなどツールを使おうといったような。

これでうまくいくケースもあるでしょう。

ただ、重度と言いますか、ADHDなどで大変な状況になると、リマインダーが鳴りっぱなしで訳が分からなくなってリマインダーの意味がなくなる方や、どうやっても待ち合わせの時間に来れない方(もちろん来ようと思ってもです)もいます。

IQは高くても、行政やらなんやらかんやらと来る書類に思考停止して何もできなくなる方。もちろん全てが山積みでゴミ屋敷です。

中にはゴミ屋敷を片付けの支援が入った際に、その準備や作業を通して脳が疲弊し、更には片付いたことでかえって場所が分からなくなり寝込んでしまったり。

借金を返済しようにも何が何だかぐちゃぐちゃで、支援者が、これこれ持ってきてと言ってもそれを探すことができなくて持ってこれなかったり、そもそも相談のための面談にすら時間管理ができなくて来れない方。

行政の手続き、金銭管理、衣食住、etc・・・

私たちがめんどくさいと思いながらも、なんとかかんとか当たり前にやっているような事。

それができなくて、心身ともに疲弊して、時に二次障害としてのうつを発症したりします。

私が関わっていたある方のケースです。
家族3人とも何らかの障害を抱えていました。
日々事件が起こります。

支援者はてんやわんやです。

そこで、一体誰がどれだけ誰に関わっているのか確認するために、それぞれの支援者が全員で集まりましょうということになりました。

役所の一室に集まりました。
椅子が足りなくなりました。

なんと20人以上の支援者が集まったのです。

自己紹介と誰の担当でどんな関わりかを説明しました。
以上1時間、はいお疲れ様でした。

一体なんのためのカンファレンスだったのか。
挨拶だけで終わってしまったのでした。
前代未聞のカンファレンスでした。

トラウマはあるし原因論もある

しばしば、負の状況というべきものが世代を越えて連鎖されることがあります。

虐待を受けた子供は、親になって今度は自分の子供に虐待してしまう。

DVを受けた方は、なぜかは知らねど別の誰かとまた同じようなパターンを繰り返してしまうことがある。

障害は遺伝するのかどうか、生きづらさは引き継がれるのかどうか、困難な家庭は困難が引き継がれていくのか、どの程度どこまでかは私には分かりません。

ただ、そういったことをしばしば目にして、感じることがありました。

私が対人支援のバックボーンとして置いている考え方の一つであるアドラー心理学では、過去の原因や家庭環境の原因を問わず、たとえそうであってもそこからどうするかは本人が決められると考えます。

原因論ではなく未来への目的論。
私はこの考え方が好きです。

ただ、どうしてもこういった壮絶なケース、しばしば壮絶な虐待をされた方が健全な思考なりメンタルで生きていらっしゃる方々は、本当に稀なことだと思います。

トラウマはないって言われたりもしますが、正直、壮絶な虐待ケースにそれを言ったって違うと思います。原因論はあります。

もちろん、症状や行動の目的を探ったり、支援していく上では目的論視点ですが。

私がもし親に、存在を否定され続けたり、刺されたり、捨てられたとしたら、普通の精神で人生を送っていけるかなんて、ハッキリ言って無理です。

おそらくは、解離を使って現実を麻痺させたり、幽体離脱して、離人ついでに行き過ぎて人格をスイッチさせるかもしれません。

あるいは自傷の鬼か、犯罪者への道まっしぐらでしょう。
あり得ないほどのことをしたりする人には、本人にとってはそうせざるを得ない何かを抱えていることがあるケースが多いと思います。

そういった方々が救われるためには、どうしても人との繋がりで安心安全を実感することが不可欠なように思います。

ところが、そういった方々は他者や周囲を巻き込み、グロッキーにさせて、益々他者が離れていきます。

それが起こる前提で、にもかかわらず繋がりを感じさせること。
アドラーが統合失調症の患者に殴らせるままに殴らせて、傷付いた相手の手に包帯を巻いてあげたような。

とてもじゃないけどできないようなこと。
相手の試し行動をも上回る寛容さで。

けれど、それなくしてはそういった方々の心を含めた社会復帰はないような気がするのです。

(参考記事)
メンタルヘルスの謎~心の病が治ってはいけない人たち