ずいぶん前のことですが、ある女性の方から電話で相談がありました。
だいたい、こんな感じだったでしょうか。勝手に都合よく変えてますが、以下。

「自分に自信が持てません」

その方はそう言います。
私は詳しく聞いていきます。

両親に自分の希望を徹底的に抑え付けられて育ってきた。
学歴第一、肩書や外面を重視、女はいい所に嫁に行けばいいと。

自分が進路の希望を言えば殴られ蹴られ、親の望むように強制されてきた。

兄は難病を持ちながらも、男はかくあるべしとして厳しく育てられ、文武両道で最高の大学に入ったものの、やがてひきこもり、アルコール依存症になり若くして亡くなった。

兄の人生とはいったいなんだったのだろうか。

小さい頃、あんなに優しくしてくれた兄が、いつしか私の知らない違う人間になってこの世からいなくなってしまった。

親は自分たちのせいなんてかけらも思ってない。

私もまた親の言いなりになって生きてきた。

ふと気づいたとき、結婚して、子供を育て、自分は何をしているんだろうと愕然とした。

これが親の望んでいた人生。
別に幸せでないわけではない。
けれど私の望む私の人生って?

そして40歳になり、一念発起して3人の子を育てながら看護師の学校に入り、小さい頃から憧れていた看護師になった。

しかし、夢と現実は異なり、厳しい現実を突き付けられている。

自分よりはるかに若いけれど経験豊富な先輩に怒られ、傷付き、自分のダメさ加減を痛感する毎日。もう辞めようかと迷っている。

親戚のおじさんは、3人の子育てをしながら看護師になったこと自体凄いことと言うが自分には分からない。

親が・・・
親のせいで・・・
もっと早くに看護師になっておけば・・・
自分に自信が持てない・・・

私はその女性に聞きました。
そこまでの体験をしながらも看護師の道に進んだのはどうして?と。

普通だったら何十年にも渡ってそういった状況に置かれたら、とてもではないが怖くて挑戦できない。

長年籠の中で生きていた生物は、籠が空いたとしても籠の中の暮らしが長いと、そうは出られない。

ナチスの強制収容所から解放された人たちも解放された時、戸惑った。

生き方を変えることは容易ではない。

お兄さんもアルコールという残念ではあるが望ましくない手段で困難に対応せざるを得なかった。

人は変わることを望みながらも変わることを恐れる。新しい世界に踏み出すことは時にそれほどまでに恐ろしい。

それなのにあなたは小さい頃から望んでいた看護師の道に、そんな大変な状況の中で40歳から臨んだ。

それはどうして?

その女性は言います。
人の為に・・・・・・けど、親が・・・親のせいで今・・・

私は言います。

不本意ではあるかもしれないが、そこまで学歴にこだわり、女は嫁に行くのが一番といったようなことを考えてしまう親には親なりの理由があったんでしょうかねと。

彼女は言います。
そうかもしれない。

私は聞きます。
では今からの未来に何ができるんでしょうか?

女性の語気が変わりました。
そうですよね、過去よりも今からですよねと。

そういえば次のステップアップの為に本来望んでいた科に異動の希望を出した。更に次のことに向けて勉強している。

私は聞きます。

あなたはもしかしたら前に進んでいる時こそ、自分が自分であることを実感できるのではないでしょうか?と。

そうです!と彼女。

私は聞きます。
では、そのエネルギーは一体どこから湧いてくるんでしょう?

あなたが言うように、もし若い時から看護師になっていたら今の自分はいるんでしょうか?と。

いないかもしれない・・・

そうです、あなたは負の体験ですら自分のエネルギーにして前に進むことができる人なのではないでしょうか?

あなたにとってはつらい体験だったのかもしれないが、それがあったからこそ今前に進もうとしているのではないでしょうか?

決して意味のない事ではなかったんです。

・・・そうなんですね!そういうことだったんですね!

そうして彼女は電話して良かったと言って電話を切りました。

彼女は困難を前に逃げるのではなく立ち向かうことを選択――自己決定しました。

彼女は自信がないと言いましたが、自分がどこからきてどこに向かっているかということを知った時、自信を持ったのではなく生きる意味を見出したのです。

ロゴセラピーの祖、ヴィクトール・フランクルは言いました。自己超越と。

人はいかなる困難でも、そこに生きる意味があれば乗り越えられるのです。

「自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は生きることから降りられない」『夜と霧』フランクル

<死亡率90%超えのアウシュビッツからの生還者でもあるフランクルはそう言います。若き妻と母を他の強制収容所で殺されたその人が。

電話の彼女は、両親には両親なりの理由があったことを知った時、両親の呪縛から抜け出しました。

人は「誰かのせい」という物語の中に生きている時、困難の中に生き続けます。

なぜなら、「誰かのせいで私は◯◯なんだ」という文脈がどうしても必要になるので、不幸な私で居続けなければならないのです。

不幸の種を見つけては、やっぱり誰々のせいで、やっぱり私は◯◯だと。

幸せの種を見つけても、いや、私は◯◯のはずだから、この種は幻だ、そんなはずはないと否定します。

「不幸な犠牲者の私」を維持するために幸せになってはいけないのです。

しかし、両親を許すことができたその時、その物語は続けることができなくなり、次の章へと移りました。

誰かのせいという犠牲者の物語から、私が私を生きる物語へと。

その時、自分の人生の舵を「誰かのせい」として他者に預けていたものを、自分の手に取り戻したのです。

ここからの未来は私が変える。

そして、自分自身の生きるを知った時、過去に生き続けた彼女は未来の中に生き始めたのです。

出来事は何一つ変わっていません。

しかし、彼女の見方が変わった時、世界が変わったのです。

 

(※支障のない範囲で内容を改変してあります)

(参考記事)
絶望=苦悩ー〇〇(ヴィクトール・フランクル)