漠然とした不安に対する三つの対処法

イメージできたことは実現する。

これは古今東西、様々な哲学者、実業家、心理学者などが述べてきたことです。私もきっとそうだろうと思っています。

京セラとKDDIの創業者でJALの再建を担った現代の名経営者、稲森和夫氏はその著書で言っていますが、セラミックの製品が出来上がった姿を、色まで、形まで、触れれば手が切れるぐらいの映像を何度も何度も頭の中にイメージしたそうです。

スポーツではイメージトレーニングなどとも言います。

そして、私自身もカウンセリングなどを通して、人は良かれ悪しかれ思った通りの自分になっているように思います。

ただ、ここで注意していただきたいことは、これは何もプラスの話だけではないということです。

私がこれまで様々な悩みや精神疾患を抱える方々と接してきた中で思うのは、こういった方々が、まだ起きぬ未来の先取り不安や恐怖を過度にしすぎて、かえって引き寄せてるなぁ、ということです。

不安障害、不安神経症、全般性不安障害などがこれに当てはまるでしょうか。

あぁなるんじゃないか。
こうなるんじゃないか。
こうなったらどうしたらいいんでしょうか?と。

雨が降ったらどうしよう。
雪が降ったらどうしよう。
槍が降ったらどうしよう。

しまいには隕石が降るかもしれないじゃないかとまで言われそうです。

思わず、じゃあ家出るなよなんて言いたくなるかもしれません。

不安なり心配なりを完全になくすには、極論すれば一切行動するなということになります。行動しなければノーリスクだからです。

まぁ、現実世界ではそんなことできっこないですよね。

それはさておき、そうやって未来を想像して不安になるだけでなく、未来の恐怖場面をイメージして頭の中で何度も何度も繰り返します。

これはまるで、自分が恐れる場面を実現させるためのイメージトレーニングをしているようなものです。

とは言っても、悩んでいる方々は、どうしても考えてしまうというのがほとんどでしょう。

これに対する対処は三点。

一つは、不安を受け入れること。

不安はなくせません。
不安を否定し、抑えつけようとしてもうまくいかないでしょう。
不安はあるものとして諦め、受け入れるよりないのです。

二つ目は、なすべきことをなすこと。

不安を受け入れ諦めて何もしないのではなく、必要な準備や努力はした上で起こる結果を受け止めること。

人事を尽くして天命を待つというあり方です。

そして三つ目が、考えるより行動です。

とにかく不安に対しては、頭の中だけで考えれば考えるほど益々不安に覆われていくようになります。。

それは当然です。
解消しようのないことにエネルギーを注いでいるのですから。

だから考えるのではなく今目の前のことに取り組むこと。
身支度、書類作成、掃除、洗濯、連絡、電話、買い物、等々。

とにかく今、今、今を膨らましていくのです。
負のイメージをのさばらせてはならないのです。

負のイメージに注ぐ時間が少なくなれば、当然、実現する可能性は下がっていくのです。

生きる意味~なんのために?どこに向かって?

そして漠然とした不安への対処としてもう一つご紹介します。

不安に覆われて、この不安をなんとかしたいという方もいるでしょうが、そもそも人として自然発生する不安に抗うことは、ある種、神に逆らう行為なのかもしれません。

私たちは与えられた状況と与えられた能力を元に人生を築いていくしかないのです。

当たり前のことかもしれませんが、この当たり前のことをできている人がどれくらいいるでしょうか?

人を羨み、自分の才や容姿に嘆く。
家庭環境が悪かった、会社が悪いと不平を言う。

これさえなければ、こうであったらと宝くじ理論にすがる。

私はこれまで、身体、知的、精神にハンディキャツプを持った方、孤独なご高齢の方、そして悩めるご家族、等々様々な方々とお会いしてきました。

大変なハンディキャップを持っていてもイキイキとしている方、置かれた状況に不平不満を言い、与えられることばかりを望む方、本当に人それぞれです。

その違いは何でしょう?

それは置かれた状況、与えられた才能に対するあり方です。

無い物ねだりではなく、今あるものをどういかしていくか。
これがその人を幸福にしていくかそうでないかの分かれ目ではないかと思うのです。

今から何ができるか、今の自分でどうできるか。

不安は見えぬ未来へ準備を促すための感情です。
具体的行動でやっていくしかないんです。
ガタガタ言わずやるしかないんです。

そして、その行動を強く促すものが、やはりモチベーションでしょう。
モチベーションは目標なしには発生しません。

こうなりたい、こうありたい、こんなことしたい、その最たるものが、その人の生きる意味、生きる目的です。

と言われても・・・と思うかもしれません。

確かに、生きる意味、生きる目的と言われても壮大過ぎて、とてもじゃないが想像も付かないかもしれません。

それは自分の人生を掛けてやりたいことかもしれないし、自分の心が喜んだり夢中になるようなことなのかもしれない。

それが何であるかは、そう簡単には手に入れられないでしょう。
けれど、あらゆる人にその人なりの生きる意味、何のためにどこに向かっているのかがあります。

人生の来し方に耳を澄ませてください。

あなたがあなたでいられた時、あなたがイキイキワクワクしていた時、あなたの心が最も満足していた時、そこに答えがあります。

逆もまた真です。

最も辛かった時、最も傷ついた時、最も苦しかった時、そこにも何らかのヒントが隠れているでしょう。

人は克服の物語を生きているのです。

〇〇だからやれないと言うあなた。

もしかしたらやれないのではなくやらないと決めていませんか?
前に進むことによるリスクを恐れて、進まないために不安を使ってはいませんか?

さあ、今のあなたには何ができますか?
あなたはどう生きますか?

(参考記事)
「自分の働く意味を見つけるために~博打打ちからの考察」