ロゴセラピーという心理学の創始者ヴィクトール・フランクルは絶望を次のように定義しました。
絶望=苦悩-意味
死亡率9割以上とも言われるアウシュビッツ収容所の生存者であり、さらには他の収容所で最愛の若妻を殺されたフランクルだからこその言葉かもしれません。
人は生きている限り苦悩から離れられません。
生老病死とも言います。
たとえ一つ解決したとしても次から次へと様々な苦悩がやってきます。
しかし、フランクルは絶望=苦悩とは捉えませんでした。
そこに意味という変数を見い出したのです。
意味とは、価値とも言い換える事ができるでしょう。
この世に意味のないことなど何もありません。
人はいかなる事が起こっても、そこに意味を見つける事ができるのです。
先ほどの定義をもう一度提示しましょう。
絶望=苦悩-意味
意味が苦悩と同等の時、絶望は消失します。
意味が小さければ小さいほど、絶望は増します。
では、意味が苦悩より大きいときは?
私なりの答えを言うならば、その時絶望は、誇り、愛、勇気といったものに変わります。
70代半ばにして80才では更に成長すると言った葛飾北斎。
我が子のために無条件の愛を注ぐ母。
人間の罪を一身に背負ったイエス・キリスト。
苦悩を超越するほどの意味。
これらほど崇高なことでなくても、我々庶民が苦悩の中にあっても意味を見い出すことはできます。
貧困、失敗、失恋、病気、リストラ、等々、様々な苦悩があります。
この時、それが絶望になるかどうかは、まさに意味次第なのです。
人は、それぞれの生きる意味を持ちます。
そして、人はいかなる状況にあっても、どう意味付け、どうあるかは自分自身で決めることができます。
あなたが人生にどうありたいか、そして人生はあなたに何を望んでいるのか、この意味を知ることこそが、苦悩を絶望に変えるかどうかを左右する大きな要素ではないでしょうか。